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Sへの目覚め
Sをやるようになったキッカケは、簡単にゆっちゃうと、M男性に頼まれたからです。
このへんのいきさつはあんまり詳しく書けませんが、 その人に「Sの才能があるから、自分で試してみないか」とゆわれて。最初は「えーっ?」って感じだったのですが、まあ、相手は経験豊富なMくんだったことだし、教わってやってみて、面白くなかったらやめたらいいやーって感じでやってみて。これが面白くなっちゃったとゆうわけです。 教わったとゆっても、「こういう風にしたら危険」という点しか彼は教えてくれず、「あとは好きにして」だったので、最初は非常に戸惑いました。 だって、人の上に乗っちゃったり、人を叩いたり、蹴飛ばしたり、オシッコを飲ませたり、してみたいなあと思っても、やっぱし普通は「そんなことホントにしちゃっていいの?」って思いますよねえ?
虐めてくれ、と頼まれたときに、「えーっ」って思ったのは、SMを知らなかったからとかでなくて、私はずうっと自分のことをMだと思っていたからです。
いったいいつごろから自分がMだと思うようになったのかは、あんまり昔すぎて忘れちゃいましたが、初体験(セックス)をする前から、そう思ってたことは確かです。縛られたり乱暴にされたい!と。むしろどういうわけか、そういうのは確かにノーマルとはちょっと違うけど、別にありがちなこと、誰でもしてることだと思っていました。 最初にマトモに(セックスありで)つきあった彼氏に「縛ってくれ」と頼んで、「ウソでしょ?!」って真顔でビックリされて、私のほうもビックリしちゃった覚えがあります。それから「ああ、こおゆうのは普通じゃないんだな〜」とゆうのを学習しまして、あんまりゆわないようになったのですが。 Sを頼まれたときに、「ホントにしてもいいの?」って思ったのは、Mとしての経験もほとんど皆無だったからとゆうのもあります。 (私の中のM性については、ほかのところでもっと詳しく書いてみたいと思います)。
それぞれのプレイの楽しさについては別のところで書くとして、Sとしてプレイしてみて気がついたのは、自分がすごく解放されること。
SMの経験がある方(特にMの方?)ならわかるかと思いますが、自分にはできない!って思ってたことができる(自分のなかのタブーを踏み越える)と、もの凄い解放感、快感があります。 私の場合は、例えば「聖水」。 私は、自分がMだと思っていたときに、Sっぽい彼氏に「目の前でオシッコしてみせて」とゆわれて、がんばったのですが、結局どーしてもでなかった経験が数度あります。SMとかぬきにしても、私はトイレ以外だと絶対にできなかったのです。山の中をドライブしていて、トイレが見つからず、仕方なく草むらでしようとしたときも、どうしてもできなくて、膀胱炎になってしまったこともあります。 ところが、Mくんに頼まれて、いわゆる「聖水」としてオシッコをしてみたら、ちょいと時間はかかりましたが、出たのですよ、コレが。 私みたいに人前でオシッコをすることがタブーでない人にとっては、どうってことないのでしょうが、私にとってこれは凄いことでした。ましてやそれを人に飲ませる! 聖水に限らず、私はSとしてならできるってことがほかにもたくさんありました。この快感が欲しくてプレイしてると言っちゃってもいいかもしれません。(でも、だんだん慣れてきてしまうので、次第にハードな方向へ行っちゃうんですね)。 私はMとしてよりSとしてのほうが、「晒す」ことができる人だとゆうのを発見したわけです。
Mくんってスゴイ
自分がそういう解放感を味わってみて、私はMくんってスゴイって思ってしまいました。
思うに、自分がMとして解放されにくかったのは、私は「自分が先にトランスに入るのはヤダ」って人間だからなのだと思います。こういうと笑われてしまいそうですが、たぶん、羞恥心が強すぎるのです。 Mくんがトランスに入るのは私がプレイで引っ張ったからだとしても、そのように、冷静な人間の前で「晒す」ことができて、私の解放を導くことができるってスゴイなあ、と感じます。 だから私はM性を持つ人を、Mであるとゆうことで見下したり馬鹿にしたりは絶対にできないです。(からかうけどね^O^)。 当たり前のことなのかもしれませんが、SもMも同じ位置に立っていると、つくづく思います。どちらがカッコいいかとか上か下かとか、どっちが「大変」かとか、ぜんぜんなくて。上手くいえませんが、方法が違うだけで、同じ位置に立っていると思います。 |
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