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tonharuさんの「黄金プレイ」講座
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ささやかながら私の経験から、「黄金プレイ」のことの話させて頂くことになり、ここにユイナ様、そして、多くの女王様へ感謝と崇拝を込めて、また、まったくの黄金初心者のM男諸氏へ、甘美なる世界への扉を開かんことを願い、僭越ながら書かせていただきます。
これを読まれた方々からの「黄金講座」の内容に関する質問に(お時間をいただくことも多々ありますが)返答致します。 (女性の紹介、プレイのお誘いなどのメールはお断り致します)。
※三和出版『女王様バイブル』第2号 (2000年8月31日発売/定価3000円) にtonharuさんの黄金講座が掲載されています。
「黄金プレイ」とは?黄金とは、説明するまでもなく崇拝する女王様がなされる大きい方を意味します。だいたいは、女王様がM男の顔や口に排泄なされることを指しますが、カレーがわりにご飯やパンなどと食べさせることもあるようです。
では、「プレイ」となるとどんな意味をもつのでしょうか?
@責め 女王様の人間便器として扱われ奈落へと落とされる屈辱を与えられる。「排泄物」を口にするという人間性の強制的な否定、奴隷以下に貶めるための行為。昔、あるSMビデオでは、女王様の黄金をかけたスパゲッティ−を食べるまで鞭を打ち続けるものを見ましたが、それは責めとしてのプレイと思います。
A奉仕 人間便器になりたい願望を満たさせる、あるいはそのように奉仕させる意味でのプレイでしょう。「聖水」もそうですが、崇拝する女王様に 「トイレ」として御奉仕させていただく意味では、責めではなく「尽くし切る、尽くし切らせる」というプレイになると思います。
B最高のご褒美 様々な責め を受け女王様に御満足頂いたからこそ、いただける「ご褒美」としてのプレイですね。
C愛情表現 少々SMとは違うのかもしれませんが、これが私にとっての「黄金プレイ」です。現在の私と女王様(私は女神様とお呼びしておりますが)では、愛情表現のひとつとして、プレイしております。
「黄金プレイ」は、はためには同じ―――「黄金」を口や身体に受け、あるい は塗られたり、食べさせられる―――に見えても、その時々や、お互いのプレイの雰囲気、関係次第で多くの意味を持つことのできるプレイだと思 います。
私にとっての「黄金プレイ」〜体験「聖水・黄金」に目覚めたのは高校の頃です。
バイトしていた本屋が、閉店後エロ本読み放題で、その時にビニ本で、聖水を飲ませるというのか、和式便器の穴から顔を出している男が口を開け、そこに全裸の女性がオシッコしている写真を見て強烈に心をえぐられたのが最初です。その何ヶ月後かに、外人もののエロ本で、「黄金」のプレイを見て、衝撃をうけました。
はじめはやはり拒絶感を感じたのですが、焼き付いてたのかなんなのか、その1年後にそれを望む自分がいました。
今思えば、嫌悪感よりも、ドキドキのほうが強かったですし、勃起はしないものの頭がボーッとしてしまい、気がつくと射精はしていませんが濡れていました。その頃つきあっていた彼女が、私にとっては、「聖水、黄金」の初めての方でした。
つきあいだしてから何ヶ月か目かに、彼女に「私なんて好かれるわけがない」と泣かれ、その時に私が言ったのが、「なら、愛している証拠をみせる。他の誰もができないことを今してみせる」でした。「何ができるの? 本当に誰もできないこと?」。普通なら死ぬまねでもするのかもしれませんが、 私が答えたのは「君のオシッコを飲んであげる」だったのです。お互いSMすら知らない年頃でしたので、今の私と女神様との関係と同じように、「愛情表現の行き着いたところ」がもっとも適した表現でし ょう。
初めて「黄金」を口にしたときのは、20歳前で、「聖水」を飲ませて頂いてから約半年後でした。
私から望んだことでしたが、彼女に「うん」と受け入れてもらうまでは、筆談で話しました。
いつ頃するかだけを決め、場所やその他はその時の気持ちでとだけに しました。結局はその週末でしたが、ホテルでペッティングで快感が高ぶった時に自然と、私が仰向けになり、彼女が跨がりアヌスを口に押し付けながら座り、「本当に愛してる? 本当にしていいの?」と聞かれ、「うん、愛してる から、証明してみせる」と答え、ひとかけら出して頂いたのです。 そのときは、飲み込むことはしませんでした。口の中に戴いてから10分位はお互い動けずにおり、その後、彼女に「はやく吐き出して」と言われ、私はトイレに出したのでした。気持ちとしては、仰向けになった時から、心臓は破裂するくらいドキドキし ていて、跨がれてアソコが近付いてくるにしたがって、息ができぬほど緊張してきました。アヌスが口についた瞬間、もう私は全て捧げるんだという思いで 胸がいっぱいになっていました。その時点で、プレイとしては成り立っていたのでしょう。彼女の緊張している様子や、息づかいがだんだんと荒れてきたことで、興奮や快感が伝わってきました。口に入った瞬間は、お互い、感極まり涙を流しておりました。 正直なところ、匂いや味など解りませんでした。なんというのでしょうか、麻痺してしまった感じで、嫌悪感も拒絶感もなかったというのが私の初体験でした。
愛情があるからこそ、私には、「排泄物」が「聖水、黄金」となり、また、そのプレイがただのプレイではなく、お互いの愛情確認といいましょうか、唯一の存在であるとお互いわかりあえるプレイになるのだと思っております。 私にとっての「聖水、黄金プレイ」は、究極の愛情表現であり、それを拒むことは、女神様との別れを意味します。
女神様は「独占したって感じる」、「ここまでしてくれるのが嬉しい」、「わたしの排泄物であなたの身体がつくられていくと思うと完全にわたしのものって感じ る」とおっしゃって下さっています。
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「SMでの黄金」と「スカトロジストの黄金」の違い
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私はスカトロとSMは別物だと思っています。SMでプレイされる「聖水、黄金プレイ」は一部ではスカトロプレイと言われているようですが、ここだけは譲れないということで、書かせて頂きます。(ただし、私の主観によるものと御承知下さい。)。
SMは「言葉での会話を肉体で語り合う愛情表現」というのが、私の考えです。「黄金」ですら崇高な恵みものと思えてしまう程、想いが深く募ってしまう、そんな関係です。
スカトロとは、「汚物嗜好、排泄物嗜好」です。単純にいってしまえば、「排泄物」でのみプレイが成り立ち、精神的な満足は、「排泄物」を持ってして満たされるということでしょうか。
よく「未経験ですが、全部食べます」、「初めてですが、御期待に沿います」といった言葉を聞きますが、信頼関係なくしていきなり「黄金プレイ」は、SMではなくスカトロジストと私は思います。
「好きな女性のためなら、トイレになってもいい」と、「トイレになりたいから、そんなことをしてくれる女性が好き」では全く異なります。興味や好奇心が先立ったとしても、お互いを解ってこそのSMであり、「プレイ」に結びつくと思うのです。
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