

65歳で定年退職した菊丸は、のんびりと悠々自適の生活を送るはずだった。
しかし、突然、妻から離縁の申し出をされ、一人で生きることになった。
元々、いつからか不仲になり、家庭内別居のように暮らしていた彼は、妻に未練があるわけではなかった。
ただ、いざ一人になってみると、何かしたいという生きる意欲がなくなっていたのだった。
65歳といっても、昔と違って、まだ精神も肉体も頑健なはずである。
しかし、特に趣味を持っているわけでもない彼は、これからどうして良いか分からず、何かを始める意欲も持てないでいた。
ちょうどそんな時、友人が油絵の個展を開くというので、何の予定もない彼は、銀座に出かけることにした。
仕事仲間とよく飲み歩いた銀座の町を帰り際に懐かしく思いながら歩いていた時に偶然出会ったのが貴子だった。
20年以上も前になるが、彼がM、彼女がSとして、主従関係によるプレイを楽しんでいたことがあった。
若くて魅力的な貴子とのプレイは、とても刺激のある楽しみであったが、彼が海外に赴任し、その後もバブルの崩壊による会社の建て直しに必死になって、しばらく交際が途絶えていた。
落ち着いた頃に連絡をしてみたが、すでに貴子は別のプレイ相手と交際していて、冷たくあしらわれただけだった。
不思議なことに、長い年月が経っていても、お互いにすぐに相手が誰かを認め合っていた。
その貴子は現在40半ばであったが、スレンダーな肢体と細いウエストは今でも健在で、豊かな胸と腰は艶やかで、誇り高く美しい容貌は、どこにいても女王様然とした存在感があった。
「あら、お久しぶりね、元気?」
「…はい、貴子様。…貴子様もお元気そうで何よりです」
彼にとって、それは運命の再会だったのかもしれない。
彼は貴子をお茶に誘い、生きる気力も失いつつある現在の状況を説明した。
「そう。…あなたらしいわね。それなら、元気が出るようにしてあげるわ」
貴子は彼を店から連れ出し、誰も通らないような暗い路地の一角に立たせ、その場で菊丸に思い切りビンタをした。
「痛!」と彼は悲鳴を上げた。
「お前には気合が必要だからね。…おや、こういう時に言う言葉を忘れたの?」
ぽかんとしている彼は、しばらくして、やっと、「あ…有難うございます」と応えた。
「そうよ、また一からやり直す? 私の行為に対しては常に感謝の念を忘れないことね」
そう言って彼女は彼の股間をズボンの上からポンポンと軽く叩いて微笑んだ。
「そのことなんですが…実は貴子さまにお願いしたいことがあります。…こんな私を調教し直していただいていただければ、と思うのですが…」
「ふふ…そういう風に来るのかなとは思っていたわ。まあ、…いいけど。それにしても、本当に駄目な男ね。いつまでも甘えることしかできないの?」
「はい、…申し訳ありません」
「それに、その格好も酷いわ。しばらく会わない内に恥ずかしいぐらい無駄に太っているし、このままじゃ本当に豚になってしまいそうじゃないの。見てられないわ。だらしなくなったのは、肉体だけじゃなくて、根性も腐ってしまったようね」
「はい、申し訳ありません」と彼は繰り返すだけだった。
「何とかして欲しい?」
「はい、お願いします」
「いいわ。でも、ボランティアじゃないし、私も楽しませてもらうわよ」
「もちろん、それは私も願うところです」
「そんなに簡単には行かないし、時間もかかるし、相当厳しい調教になるわ。毎日が地獄になり、私を悪魔と思うかもしれない。それくらいの覚悟をしておくのよ」
「はい、貴子様。貴子様の命令なら、従います」
「膨らんだこのお腹…何とかしなくちゃね」と彼女は言い、彼の精神改造だけでなく、肉体改造も引き受けることにした。
「さっきも言ったけど、謝礼はきちんといただくわよ。遊びではなく、ちゃんと目的のあるトータルプランですからね。お前にとっては、新事業展開のための準備研修料だと考えなさい。いまのお前では、自分から進んでストイックな肉体改造など無理でしょ? 調教される悦びがあるからこそできることでしょうね」
「はい、貴子さま、おっしゃる通りです。謝礼はもちろんお支払い致します」と彼は答えた。
「それとも、それを口実にして私とプレイしたいだけなのかしら?」
「そんな…ことはありません」
「正直に言ってもいいのよ。私はどちらでも構わないわ…ま、その代わり、私も楽しませてもらうわ。ほほほ…たっぷりとね」
貴子は笑って言ったが、その瞳は残忍なきらめきに輝いていた。
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